名は、ヨシ子さん。

てんさいだからしかたない。

こちらは「鹿児島のばーちゃん↑」こと、ヨシ子さん。母の母だ。名前のカタカナはマジの表記でヨシ子さんだ。

ヨシ子さんは鹿児島県の川辺という街に住んでいて、お盆と正月には三重の自宅から鹿児島まで帰省するのが我が家の大イベントだった。弟が高校を出るまでだから20年近く続いたんだけれど、ぼくはやれ受験だのやれ習い事だのと、鹿児島に行かなくなった。後悔しているかというと少し違うが、今思えばもう少し彼女と話がしたかった。

この写真は1988年で、ぼくが3歳の頃のものだ。ことのき、弟が誕生して初めての夏だった。流石に幼かったから詳しいことは覚えていないのだけれど、弟が生まれるということで、母が鹿児島に里帰りするのにぼくも一緒について行くことになり、ばーちゃん↑にお世話をしてもらっていた日々の一コマだ。

ヨシ子さんは、いわゆる 天才 だったのだと思う。この話を家族にすると笑い話で終わるんだけれど、どう考えても彼女は天才だった。自分で言うのもなんだが、ぼくはまぁまぁ多くの天才を見てきた。スポーツ、学問、芸能、ビジネス、今の自分がどうかはおいといて、本物に会ってきたし、一瞬でも同じ土俵で会話ができた感触がある。これ以上の説明はできないのだけど、世の中には天才がいる。ヨシ子さんは天才だった。

この話は本人も母も(叔父も)隠さないし、ぼくは彼女の夫、つまり鹿児島のじーちゃん↑と暮らしたことがある。名をけんぞーさんという。けんぞーさんは、30代の頃に交通事故に巻き込まれた。脳や神経に障害が残り、医師からは「3〜5歳児になったと思ってください。」と言われたそうだ。実際、ぼくが覚えているじーちゃん↑は、3歳児のようだった。お手洗いも食事もお風呂も身の回りの大抵のことは自分でできるけれど、意思の疎通は難しかった。3歳のぼくでさえそう思ったんだから、本当にそうだった。だけど、もともと温厚な人で、大声を出したりするようなことはなく、父と母の結婚式にはビシッとスーツを着て、福岡の結婚式場までヨシ子さんの肩を借りながら堂々と出席していた。

ここまで書いてて、もう動悸がしてくるんだけれど、ヨシ子さんの苦労たるや凄まじいものがあったと思う。幸せに暮らしてて、娘が高校に上がる、息子が中学生になる、そんな日常の中で突然、愛する夫が自分を認識することもできないような事故に見舞われるなんて。そして彼を支え、子らを育て、どんな胆力だっただろう。正直、ぼくが母に聞けば当時のことを詳細に話してくれるんだと思う。思うんだけど、子供の頃にはなかった今の解像度でその心情や生活を耳にしたら、ぼくは耐えられないかもしれない、と思うような出来事だったと思う。

ヨシ子さんは、文字の読み書きができなかった。必要でもなさそうだった。自分の住所と名前くらいしか書けなかったんじゃなかろうか。晩年、だいぶ時間ができて日記みたいなものをつけていたが、「60手前にして覚えたてかよ!」といった具合だった。まぁその、鹿児島弁という言語が、書き記すという点において非常に相性が悪いというのはある。ちゃんと調べてないのが悪いんだけども、戦国時代に敵に作戦を知られないようにするために進化?したことばだそうだが、気になる人はYouTubeで「鹿児島弁」で検索してみてほしい。または「ニャンどん」でもいい。脳内の言語体系がこうだと、標準語形式での読み書きを覚えるというのは、日本人が第二外国語でフランス語を取るみたいな話だったのだろう。話が脱線したが、それくらい文字の読み書きつまり「記録」を外部デバイス(紙を含む)に頼らず生活していたということになる。書き方が悪いのでなんか現代人がデバイスとか言いたかっただけみたいな空気になっているが、彼女の記憶力や判断力、考え方は、凄まじかった。話したいことがありすぎていい例が思いつかず、いちばんしょぼい例が頭に浮かんだので一応書いておくと、

ぼくが小学校3年生の夏休みの自由研究で、ばーちゃん↑が作る味噌が美味しいと思っていたのでその作り方を聞くことにした。味噌作ったことがある人は『いやいや』って思ったでしょう、そうなんですよ。ヨシ子さんは快諾してくれて、おおよそ2年かかる工程を、手戻りしたりあーとかえーとか考え込んだりせず、2時間で喋り切った。ぼくはノートを撮るのに必死であっという間に『2年』が過ぎたのだけど、その自由研究に絵とか添えてそれっぽくして提出した瞬間、

あれ?ヨシ子さん、2年分?丸暗記してた???

と、こわく笑 なった。後日、あれはメモでも持ってたのかと聞いたら、そうでもなさそうで、全部覚えてるの?と聞いたら、『どーだったかなぁ〜↑』と、ちょけていた。ちょけていたというよりも本人もわかってないというか、あの日あの電話での2時間で、ヨシ子さんは自分の2年を早送りでぼくに「聞かせて見せた」んだと思う。

ヨシ子さんの話はいっぱいあるから今日はこの辺にしよ!

実は今、多分ですがコロナとインフルエンザのダブルパンチをくらっており寝込んで4日目の夜なのです。近所の内科は「手いっぱいで診てあげられないから、持ってるロキソニン飲んで5日寝てて!」って感じで、市販の風邪薬と実家に余ってる(余らすな)風邪薬などなどをとにかく朝昼晩のんで寝て過ごす日々で、そろそろNetflixを見放題見てても、飽きてきたところです。まじでどこでもらってきたのか見当がつかない。あるとしたら高速道路のSAかなぁ。これに関しては非常に納得のいかない風邪ひきウィークでした。

いい話もあって、今週末にはサスペンションを一新したロードスターが戻ってきます。加えて、新事業として取り組む軽貨物用の車両も届きます。しっかり休んで、動けるようになったら一気に元気に動きます。

皆様もお気をつけて。時は金なり、風邪は負債なり。

古賀章成
meetthecars.com

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